・・・そもそも、ヨルダンへ行く気など無かった。でもヨルダンで食べたイラク料理は本物だった・・・
僕は、フェルトペンで、丁寧に書かれたイラク料理のメニューを見ながら、昨年夏にみた一人舞台「もしぼくがイラク人だったら」を思い出していた。
阿部一徳という俳優の一人舞台。
彼が肉の入っていないトマトスープを美味しそうに飲んでいたのを思い出した。イラク人の少年が戦時下の緊迫した状況下でも親に隠れてオナニーしてたのを思い出した。そして、街が、人々が粉々に砕け散るのを思い出した。血と砂の混じった匂いを、あの東中野の小劇場の空間で確かに嗅いだのを思い出した。
目の前のメニューに目を戻す。イラク料理、メニューの数は少なかったが、必要なものは全てあった。
スープは二種類、チキンとトマト。
メインはチキンや羊のバーベキュー、それにインド料理とは綴りが違うが確かにブリヤニと読めた。
僕らは迷わず、チキンとトマトのスープをそれぞれに、そしてチキンバーベキュー、ビーフブリヤニを注文した。
白濁したチキンスープは博多のトンコツスープを彷彿とさせるが、中東系のハーブ、おそらくはローズマリー、セージ等が溶けこんだ味。トンコツスープが薬膳料理になったみたいねと彼女は笑った。おい、それは豚じゃなくて鶏だぞ?
トマトスープに肉は入っていなかった。しかし、何時間もかけて煮出したビーフコンソメがそのベースになっていることは、その濃厚な味からすぐに判った。美味しかった。
このスープを飲んだだけで、いかに多様で高度な文明・文化が長期間にわたってバグダットを舞台に栄えたかを、僕らは一瞬にして理解した。
バグダットは本来、エジプトより古く、紀元前3500年にチグリス・ユーフラテスに人類最古のメソポタミア文明が発祥した場所。ローマ帝国が滅んだ5世紀から15世紀くらいまでは、イスラム文明の中心地として、長期間にわたり100万都市として栄えた都市。京都よりも遥かに長い歴史だ。めまいがする。
チキンバーベキューは、思ったほどでも無かった。いや、十分に美味しいのだけど、僕らはここに来るまでに、イェルサレム、ベツレヘム、ヘブロン等で、死ぬほど美味しいチキンを山ほど食べてきている。その最高ランクには入るけど、特に驚きは無い、普通の味。というか、チキンに火を通しすぎて、ジューシーなハズの肉が固めだ。
ミシュランの調査官のような事を、ここで言うのはやめて。彼女はマジで怒った。
しかし、次のビーフ・ブリヤニは衝撃だった。
例えば、インドのチキンブリヤニ(正確にはブリヤーニーと発音するが)。米、野菜、鶏、スパイスを渾然一体に煮込んだこの料理はインドでは一般的なもの。デリーでは、Briyani-Wara(ブリヤニ屋)という看板は、住宅地でもオフィスビルの隙間にも、すぐに見つかる。
でも、ヒンズー教は神聖なる牛は絶対に食べない。ビーフブリヤニは中近東、イスラム圏の料理なのだろう。ブリヤニはピラフという意味では、アフガニスタンをからイラクまで一般的に使われてるとは初めて知った。
僕は、インドのチキン・ブリヤニの鶏が牛に変わったものを予想していた。
しかし出てきたその料理は、インドの最高級ホテルで食べたものより、さらにスパイスの組み合わせの奥が深く、さらにはナッツ、刻まれた果実等も一緒に煮込まれた、まさに渾然一体、黄金の味とでも言えるものだった。食べた瞬間、味覚が音楽に変わるような味とも言おうか?
牛肉そのものも、日本とは全然違う。匂いが、味が、とてつもなく強い。しかし、肉質はジューシーで柔らかい。霜降りとかではないのだけど。
日本の牛肉の匂いは「去勢」されたように優しい。しかし、この牛肉は確かな獣の匂いがした。しかし、その匂いを敢えて消したりはしない。全ての香辛料、ナッツ、果実は、その牛肉の匂いの強さのまま、生命力溢れる匂いと味へと、変化させる。
イラク料理の料理人て、まるでアルケミストのようね。彼女は笑った。
フランス料理の定番に「羊肉の岩塩包み」がある。(日本では恵比寿のモナリザあたりが一番美味しいけど)それは、羊肉の強力な臭みを岩塩とハーブで消すことなく、極彩色の匂いへと変化させる。
僕らは、心の底から、イラク料理に満足した。そして、これほどの文化の蓄積のある国を粉微塵に破壊したアメリカに対して、心の底から湧き上がる侮蔑の念を抑える事ができなかった。
でもね、あなた、今、アメリカがイラクでやっている事って、17世紀からイギリス東インド会社がインドでやったことと同じじゃない?
そうだ、同じだ。おかしいくらいに全く同じだ。
でも、昔は銃と剣しかなかった。テレビゲームのようにカーソルを合わせるだけで5km先の人を吹き飛ばすロケット弾はなかった。人々を白血病や遺伝疾患を子孫まで残す廃ウラニウム弾もなかった。タージマハールの壁から、宝石と黄金は持ちさったけど、建物に爆薬をしかけて、人々の最後の心の拠り所を破壊するところまではしなかった。
食事が終わっても、僕らはそのレストランから立ち去りがたい気落ちでいっぱいだった。
この料理を作ってくれたイラク人シェフにありがとうを言わせてください。
オーナーは、喜んで、といって、キッチンに行き、シェフを連れてきた。
オーナーがアラビア語に訳す、僕らの賞賛の言葉を、はにかむよう聞き入るイラク人シェフは、まだヒゲも似合わない、18歳の少年だった。
==Tribute to 大根健一&阿部一徳==
とても魅力的な記事でした!!
ReplyDeleteまた遊びに来ます!!
ありがとうございます。
読んで共感してくれてありがとう。そうだ、12月から忙しくて、そのままだった、たまにはまた書き足してみる。
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