Friday, October 26, 2012

技術の進化が意識を変える

 
これはフランスのルミエール兄弟が1900年のパリ万博で、上映した映画。 
観客たちは、列車が近づいてくると悲鳴を上げて逃げまどったという。 

あらゆるイメージ・アイデアがSFXとして実現されてしまう環境に慣れっこになった私たちには、その話は滑稽に思える。しかし、それまで映画という体験を一度もしなかった人々が、このような映像を体験した時のショックの大きさは図り知れないだろう。 

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ヨーロッパの大聖堂では、色鮮やかなステンドグラス、パイプオルガンからの幻惑するほどの音の洪水に、今でも圧倒される。中世の寂れた暮らしの中、聖堂、教会に人々が集まったのは、説教を静かに聴くためではない。その音と色の洪水は、今僕らがロックコンサートで感じるスリルと同じだったに違いない。彼らにとって、聖書の物語は、「スターウォーズ」であり、「風と共に去りぬ」、であり、「七人の侍」であったわけだ。 

映画が娯楽の王様とか言われていた時代があったが、中世は大聖堂、教会こそが「娯楽の殿堂」だったわけね。 

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ヨーロッパの美術館に行って、名作といわれる類を鑑賞すると、いつも驚かされるのは、その大きさ。ブリューゲルの名作「バベルの塔」を見ると、遠景から近景まで、驚くほどの細密さで「物語」が描きこまれている。15世紀~18世紀の絵画って、本当に一枚一枚が巨大で驚く。 
あれ!?そうか、当時は一枚の絵は、僕らが映画を見るような感覚で当時の民衆は接していたに違いない。 

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戻って、戻って、大きく戻る・・・時計を縄文土器まで戻してみよう。 

僕が高校の時、京都の国立博物館(三十三間堂の目の前)の入り口で見た、巨大な縄文時代のの火炎土器を見たときのショックは今でも忘れられない。デカイのよそれが本当に。 

この火炎土器を見た当時の人々は、実際に炎が揺らいでいる感覚を持ったに違いない。今でも、僕らは錯視して渦巻き文様を見てるだけで、グルグルとした動きを感じるけど、それ以上の身体的幻惑を火炎文様は人々に与えたに違いない。 

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数日前に、CSで「男女7人夏物語」をやっていた。一番のインパクトは、賀来千賀子が奥田英二に電話する場面。「公衆電話」から「会社」に直接電話して、色々と話していた。 

携帯電話と携帯メール無しの生活って、想像するだけにも、もはや大変な困難を感じる。 

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結局、全て、技術が先なのだ。意識の変化は後に来る。 

時の最先端の哲学者が語るような、意識の進化が、技術を生み出だす訳では無い。技術オタクの飽くなき追求が、新たな道具を生み出し。それを使うことで人々の意識が徐々にに変化していくのだ。 

インターネットだって、ハイパーテキストの構造を考えたティム・バーナード・りー、ブラウザを作ったマーク・アンダーセン、アパッチサーバを設計・実装したロバート・タウ。この三人の「技術者」がいなかったら、どうなっていたことか・・・MSの天下という悪夢? 

印刷だって、ラジオ、テレビ、インターネットにいたるまで、20世紀の文化は分野毎の技術オタクによって切り開かれてきたのだ。オタク達が磨き上げた、技術、製品、サービスが人々の意識をどんどん塗り替えてきた歴史。 

おたくバンザイ!僕らが世界を作ってきたんだ 

俺も何かしよ

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