Wednesday, October 31, 2012

ハレルヤ


 火星の北極にはドライアイスの海
 青く広がりし海も今は昔
 深く 凍り 沈む

 波の音 今は絶え
 魚たちは永遠の眠りから醒めず



バルセロナからロンドンへ向かう上空。朝9時、快晴。ビジネスクラスのシートには僕も含めて3人だけ。スチュアーデス2人に乗客3人、飛行機はすぐに巡航高度へ達した。 

ふと窓の外をみたら、不思議な風景が眼下に広がっている。飛び慣れているはずのスチュアーデスも一緒に、皆が子供のように窓の外を眺めてる。別にUFOが飛んでいたわけではない。

高度10000メートルの巡航高度。どんなに晴れていても、地表は少しは曇って見えるの。しかし、今この瞬間、眼下に広がる大地は、その端から端まで、全てが驚くほど鮮明なのだ。地球の表面をこれほど広い範囲で、ここまで鮮明に見たのは生まれて始めて。

手が届く!

そう思った瞬間、意識は巨大なシャボン玉の膜のように、地平線まで広がり、飛行機は巨大な硬質ガラスの中に、一瞬で凍ったような錯覚を起こした。

神様の視点にちょっとだけ近づいたような気がした。 

ふと見渡すと、平坦だった大地は「皺」として徐々に盛り上がり、気がつくと大きな山脈へと成長を始める。ピレネー山脈だ。その茶色の皺は、さらに大理石のように、白い頂上へとグラデーションする。

大理石の大地を眺めながら、僕は行ったことの無いはずの、火星の極地帯を連想してしまった。

100万年前まで海があり、今はドライアイスの氷が何百メートルもなる火星の北極。ドライアイスの下には、さらに分厚い氷の層があるという。

100万年。それは地質学的には、ほんの一瞬。濃密な大気と海の中、生物はかなりの所まで進化したはず。その厚い氷の中で、火星の魚たちは飛び跳ねたままの姿で、永遠の眠りについているに違いない。

 火星の北極にはドライアイスの海

 地平線に青く光る地球

僕らの子供たちがそれを見るのは、何千年、何万年先なのだろうか? 

神様の時間を少しだけ感じられた気がした。 

ハレルヤ 

Monday, October 29, 2012

消されてきた古代からの叡智

漫画の「イリヤッド」にやられました。偶然目にした書評から、ふと興味を持ち、まずアマゾンで最初の2巻を注文。 到着、読んで、1時間後には残りを全巻注文して、読みきった。

アトランティス文明の起源を軸に、日本の出雲⇒大和の権力移行と因幡の白兎伝説、シュリーマンの晩年、ヒットラーのアトランティス探索、宗教の起源、イブのDNA、テンプル騎士団等など知的刺激満点の話題の数々が、世界中の美しい舞台で広げられる。 

これら「イリヤッド」の中で取り上げられている幾つかの話題は、僕自身のライフワークとも重なるので、興味深く読ませてもらった。

ま、最後の結末が大団円にならなかったのは不満だけど、比較すると「ダビンチコード」なんかは本当に陳腐だなぁと思ってしまう。火の鳥、サイボーグ009といった古典から、ナウシカ、もののけ姫、モンスターに至るまで、日本の漫画・アニメの物語の重厚さは、ノーベル文学賞に値すると思うよ。

さて、ここから先は僕の妄想なんだけどさ。
イリヤッドの中にも取り上げられている、古代からの叡智の数々が、なぜこれほどまでに執拗に歴史上から抹殺されてきたのか?これは、大学時代からの疑問なんだよ。その背後に時代を超えて連綿と続く、「ある勢力」の存在を感じるんだよね。

■執拗に消されてきた古代からの叡智■ 

 1.BC330年 アレキサンダー大王によるペルセポリスの大図書館の焼失
           ちなみに、古文書を焼いたと記録には残っていないけど、ペルセポリスの王宮を
           焼き払った際には、当然ながら膨大なペルシャ文化の古文書も消えただろう。

 2.BC240年 秦の始皇帝による焚書坑儒
           ま、中国は王朝が変わるたびに焚書してるし、
           個人的には、中国文化の到達点は青銅器時代だと思っている。

 3.BC 48年 カエサルによるアレキサンドリア大図書館の消失 

 4. 54年 パウロによる、エフェソスの大図書館の焼失 

 5.290年 キリスト教徒により、再び、エフェソスの図書館が焼失 

 6.390年 キリスト教徒、再び、アレキサンドリアの大図書館を放火、焼失
         これは、100万冊とも200万冊とも言われる。人類史最大の愚行! 

(大学時代、神父でもある某教授に、 「アレキサンドリアの大図書館放火」と「魔女裁判」 この二つだけでも、キリスト教は、全ての人類に対して贖罪すべき!とか言って、議論を吹っかけたことがあった。 それに対して、教授は「魔女裁判」の罪は認めたが、前者に関しては、頑固に詭弁とも思える反論をしてきたのを覚えてる。) 

 7.600年頃 アイルランド修道士、ケルトのルーン文字写本を一万冊以上焼却 

そして、「総仕上げ」とも思えるのが 

 8.728年 東ローマ皇帝、コンスタンティノープルの古写本50万冊以上を焼却!

 9.14世紀からの異端宗教裁判時代に、異端の古写本は全て燃やされ

 あろうことか・・・ 

10.新大陸でも、神父ディエゴランダによって、マヤの古文書が「全て」焼却される。 
   ま、何冊かは焼失を免れて現存してるけどね。

 宗教そのものが、叡智を封印するための、集団ヒステリー発生機構でないか、とか思える時もあるくらいだ。

 あ、こんなこと書くと、自分はガリガリの無神論者と思われるかもしれないな。でもBlogの他のコラムを読んでもらえれば、キリスト教文化に関しての自分の愛は良く判ってもらえるはず。(笑)
 自分は、むしろ無神論者ではなく、汎神論者です。

 これら、失われた古代からの智慧の一つくらいは、生きてるうちに復元できたら嬉しいんだけどね。

Friday, October 26, 2012

「祈り」はミーム(文化遺伝子)を運ぶ

教養のあるインド人を京都に連れてくると、本当に驚くことの連続だ。 

銀閣寺の庭のことを 
「銀沙灘=ぎんしゃだん」 
というのだが、この 
「しゃだん=SHADAN」 
がなぜ庭を意味するかは、寺の人に聞いても、仏教用語としか答えてくれない。 

しかし、この「音」を聞いたインド人は即座に 
「SHADAN=サンスクリット語の庭」 
だと判る。 

街や美術館を巡るたびに、新発見が山ほど。でも一番驚いたのは、仏教のお寺が一番大事にする「お釈迦様の骨」
「舎利=しゃり」が、なんとサンスクリット語で「身体」を意味すると聞いた時。

日本に仏教が伝わったのは6世紀中盤だから、1500年近く、この極東の国はインドで生まれた文化遺伝子(ミーム)を変えることなく継承し続けたことになる。 

1500年という時間、数万キロという距離も飛び越える、人間の作り出した文化の奥深さと生命力に、ただただ驚くのみ。

=====

マドラス(今はチェンナイと呼ばれる)は、インド東海岸の大都市。工業、海運、農業、水産、一つの都市圏でマレーシアを凌ぐ位の経済規模を誇る。ここに2000年の歴史を持つ、世界でも最古のキリスト教会がある事を知る人は、日本にはほとんどいない。

キリストの12使徒の一人、聖トーマスの教会。12使徒の実際のお墓の上に立つと、ローマカソリックが正式に認める教会は世界で三つだけ。スペインのサンチアゴ、イタリアのローマ、そしてこのインドのマドラス。 

彼はペルシャ・インドへの布教を目的に、このマドラスにAD52年に来て、AD72年に暗殺されるまで布教を続けたそうな。その墓はシリア正教のキリスト教徒によって、今日まで守られたという。 今はほとんど話す人もいないアラム語(古代シリア語)典礼がマドラスの地に残る。(当時のシリア、ダマスカスは中東屈指の国際都市、そこの言葉であったアラム語はイエスキリストも話したと言われる、その時代の共通語。)

1世紀中頃という時期に、ここまで布教に来たのが驚きなら、それを現在まで2000年近く守り続けたコミュニティがあったという事実は奇跡に近いだろう。ここはヒンズー教、仏教、イスラム教、そして多数の国々が争いを続けた土地なのに。

今も残る地下墓所は、「磁場」のような祈りのエネルギーにあふれ、聖トーマスの遺骸は、容易に近づけないほどの濃密なオーラに、はじかれそうになった。人々の想いの2000年分の蓄積は、その場の重力を確実に変化させていたとさえ感じた。

2000年と数万キロという時間と空間を一瞬と感じさせる、強靭な文化遺伝子(ミーム)。

人間の作り出した文化とは、はかないようでも、かくも生命力に溢れたものなのだ。そしてその生命力の根源は人々の「祈り」であると確信した。

ヴェニスは意思の賜物

「海の都の物語」は塩野七生の最高傑作だと思う。 

思うところあり、数ヶ月前に本棚の奥から引きずり出し、仕事や海外出張の合間に、じっくりと再読してみた。
幸運にもヨーロッパのビジネスパートナーがベニスの陸側の都市、トレヴィソにいる関係上、ベニスには、過去10年で20回くらい行っただろうか?パリ、ボストン、デリーらと並んで、僕が観光ガイドよりも穴場を知っている街でもあるが。 

ネスカフェのコマーシャルは昔から、ベニスのサンマルコ広場だしね。一般的には風光明媚な観光地としてしか知られていない。 しかし、ここは都市国家として、ローマ帝国崩壊後の西ヨーロッパで1000年近い繁栄を誇った場所。大航海時代の16世紀まで1000年近くは、全ヨーロッパとベニスの富が等しいとまで言われた。 

この都は「人間の意志」の賜物。 

蛮族の侵入を防ぐために、何もない干潟の上に、人の力によって築かれた都。そこには「自然にできたもの」は何一つないのだ。壮麗な大伽藍から街角の石ころひとつにいたるまで、全てが意思の力によって築かれたのだ。 

銀行、複式簿記、ベンチャー投資組合、株式会社等、現在の資本主義の基盤となる仕組みは全てこの国で生まれた。 

ヨーロッパ中に宗教裁判と異端尋問の嵐が吹き荒れても、人々が自由な魂を売り飛ばす必要の無かった唯一の都。
ルターもカルビンもベニスがあったから殺されずに生き延びれた。活版印刷がビジネスとして成立したのも、文庫本が生まれたのも、ここ。
 ナポレオンに征服される18世紀まで1000年に渡って、政府転覆の動きが起きなかった。人類史上、最も完璧に近い政治システムを持っていた都。 

塩野七生の「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」は、そのダイナミックな歴史を、登場人物の息遣いが聞こえるほどの精妙な文章で伝えてくれる。 

もしも、日本の政治家の10%でも、この本読んでくれれば、この国は変わるのにと思えてならない。 

人が文明を創り出したのは、何らかの強い「意志」の力をもった集団が、東アフリカの他のサルたちと決別したことに始まったのだなと思う。 

今の日本の政治家のうち、何人が、、自分の人生に照らし合わせた、未来への意思を持っているのだろうか? 

(あ、ヴェネツィアはイタリア語読みね。)

ヨルダンでイラク料理を(PART1)

・・・そもそも、ヨルダンへ行く気など無かった。でもヨルダンで食べたイラク料理は本物だった・・・ 

イスラエルへは年に三回くらい出張で来る。 

もう10年は来ているから、単純計算でも30回を越す。あの偏執狂的な出国検査も最初のうちはアタマにきたけど、最近は受け流す方法を覚えた。人間どんな環境でも慣れるもんだ。そう言ったのは馴染みのパレスチナ人のドライバー。 

何人かの彼女を海外出張に連れて来たけど、今の彼女は本当に特別だ。歴史と美術にはいっぱしの知識と審美眼を持っているつもりの僕だが、全く歯が立たない。彼女、大学で西洋美術史を専攻したのに、西洋美術は大嫌い。ルネッサンス美術やベネチア絵画を語らせたら、ベニスの認定ガイドも降参。でも今はイスラムとビザンチンに夢中。 

この前、ちょっと連絡が取れなくなったと思ったら、ボスニアの首都サラエボに一人で行ってた。 
「サラエボこそ真のコスモポリタン都市よ!」 
大好きなジョニ赤のロックを片手に、この話を始めるともう止まらない。飲めない僕はうなずきながら朝まで付き合う。でも最後には僕の肘枕で寝てしまう。 

去年のイェルサレム出張に初めて彼女を連れてきた。今までの彼女をイェルサレムに連れてきた事は無い。いや自分から行きたいと言ったのは後にも先にも彼女が初めて。それ以来、イエルサレムの旧市街や旧約聖書の遺跡巡りは、イスラエル出張の僕の密やかな楽しみになった。 

彼女、何処で習ったか、イスラム教の作法や、正教の作法も完璧に身に付けている。昨年、モンテネグロの絶壁のオストロノグ修道院を迷い込むように尋ねたとき、洞窟の奥にある聖人の遺体、そして正教の司祭に向かい、彼女はセルビア語、セルビア正教の完璧な作法で祈りを行った。大変な女性を彼女にしてしまったのだと、僕は一瞬、腰が抜けた。 

一緒に仕事をしているヘブライ大学の教授は、本当に家族思いで一途。とても「彼女を連れてきてます」なんて言えない。これがイタリア人のMITの教授だと、還暦近いのに、僕らとの会合にアンジョリーナジョリーをさらに知的にしたような「秘書」を連れてくる。ベニスで打ち合わせを行った時、先生におそるおそる「彼女を連れてきてるんですけど」と言ったら、まるでイタリアオペラのテノールのような声で大笑いされた。 

さて、イェルサレムの旧市街、その大部分を占めるイスラム教徒エリアには、地元のユダヤ人は絶対に足を踏み入れない。僕ら観光客は何処を歩いても問題ないけど、一度、その先生と歩いていたら、パレスチナ人の悪ガキどもがわざとぶつかってきたり、遠くから石をなげたりした。 

イェルサレム出張の度に旧市街デートを行い、長い黒髪と日本人離れした容貌(ロシアとのクォーターであることは付き合って1年後に知った)の彼女と、これまた日本人にしては濃い風貌の僕らが、ケバブ屋、ナッツ屋、土産物屋のアニキたちと仲良くなるのに時間はいらなかった。 

今回の出張で、二泊三日程度なら小旅行に行ける時間ができた。エジプトに行くか、ヨルダンに行くか迷ったけど、ヨルダンの首都アンマンを中心に行ってみようという事になった。 
エジプトへは陸路で時間がかかるという事、二泊三日では短すぎるという、消去法で出た結論である。

イェルサレム⇒アンマンは陸路で50Kmくらいしか離れていない。第二次世界大戦前は車で一時間で着いたそうだ。今は、検問やらなにやらで、3時間はかかる。 

アンマンは驚くほど小奇麗な、都会だった。 

イスラエルのどの都市よりも整備されている。街を歩く人々の雰囲気にはイスラエルのパレスチナ人の持つ、不安や暗さなどは微塵も無い。 

アンマンでは一番のル・ロワイヤル(Le Royal)に泊まった。入り口で空港並みの荷物チェックを受けたが、足を踏み入れると、日本の帝国ホテルよりも豪華な、パリのリッツを思わせるような格式あるホテルだった。 

ドアマンからレストランのボーイ、レセプション、コンシェルジェに至るまで、まるで一昔前の恋愛映画のオーディションで選んだのでは?と思うくらいの美男・美女揃い。これが偶然のハズが無い。クラブフロアのボーイに至っては、男の僕でも見とれて言葉を失うくらい、まるでギリシア彫刻に命が吹き込まれたようだった。 

夜、ホテルのコンシェルジェに「アンマンで一番美味しいアラブ料理の店」に予約をお願いした。これまた美女のコンシェルジェは「アンマンには世界一美味しいアラブ料理のお店が三つある」といって、そらで電話をかけ始めた。そして二番目にかけたところでそのレストランに予約ができた。 

左利きのコンシェルジェが「タクシーの運転手に渡して」と書いたアラビア語のメモは、読めない僕らにもセクシーと思えるくらいの達筆だった。アラビア文字にも書道がある、という話をいまさら思い出した。 

そのレストランはタクシーで5分もしない、アンマンの中心部にあった。入った瞬間、席に通されただけで、この場所が特別であることはすぐにわかった。そこで食べている人々が皆、おだやかな幸せのオーラに包まれ、充満している。 

アラビア料理の前菜は、トルコからエジプト、モロッコに至るまで、基本は共通している。ヒヨコ豆を潰して、オリーブオイルと混ぜた、ペースト、これをフムスと言うが、それを基本に、あとはサラダのバリエーションがまず4皿~6皿くらい出てくる。 

韓国料理のお店に行くと、いろんなキムチが小皿で出てくるが、あんな感じを想像してみるといい。 

当然だけど、その小皿の一つ一つが、今まで食べてきた僕らの「アラブ料理」の概念を超える、素晴らしいもの。ロイヤルホストで食べるフレンチ料理もどきと、パリで食べるミシュラン星つきくらいの差がある。 

それらをフレッシュなオレンジジュースとか、グレープフルーツジュースとか、レモネード(ミントが砕かれて入っていて超美味)飲みながら、さらにメインメニューを決めることになる。 

そこで、僕らは一瞬、言葉を失った。 

キレイに印刷されたメニューの脇に、一生懸命書いたペン書きの料理名。 

IRAQI CUSINE 
そして幾つかの料理名が続く。 

二人だけの、ヨルダン旅行、昼間のローマ遺跡の片隅をバチカンに見立てて、二人でキスした事。バグパイプの軍楽隊に会わせて、二人で行進してみせたり。 

そんなこんな、全てが一瞬にして吹き飛んだ。 

「なぜここにイラク料理があるのですか?」 

店で一番優しく、しかし一番威厳のあるおじさん(後にオーナーと判明)は、優しくも瞳の奥に、悲しみとも怒りともつかない光を隠して言った。 

「現在、イラクの料理人は、バグダットには一人もいません。 
 彼らは、ここアンマンとダマスカスにいます。 
 バグダットは世界で一番古い文化都市のひとつです。 
 その料理の歴史を現在のような状況で消してはいけません」 

かみ締めるように伝える一言一言が僕らの胸に響いた。何も怒ってはいない、絶望でもない、無意味な希望を込めてるのでもない。ただ、事実を述べているだけ。 

マイミクHiroさんに紹介され、見に行った一人舞台、 
[阿部一徳の、ちょっといい話] 
 「僕がもしイラク人だったら」 
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6239651&comm_id=828429 
が僕の頭に鮮烈に蘇った・・・ 

■■本日記は70%の真実と30%のフィクションです■■

ヨルダンでイラク料理を(PART2)

・・・そもそも、ヨルダンへ行く気など無かった。でもヨルダンで食べたイラク料理は本物だった・・・ 

僕は、フェルトペンで、丁寧に書かれたイラク料理のメニューを見ながら、昨年夏にみた一人舞台「もしぼくがイラク人だったら」を思い出していた。 

阿部一徳という俳優の一人舞台。 

彼が肉の入っていないトマトスープを美味しそうに飲んでいたのを思い出した。イラク人の少年が戦時下の緊迫した状況下でも親に隠れてオナニーしてたのを思い出した。そして、街が、人々が粉々に砕け散るのを思い出した。血と砂の混じった匂いを、あの東中野の小劇場の空間で確かに嗅いだのを思い出した。 

目の前のメニューに目を戻す。イラク料理、メニューの数は少なかったが、必要なものは全てあった。

スープは二種類、チキンとトマト。 
メインはチキンや羊のバーベキュー、それにインド料理とは綴りが違うが確かにブリヤニと読めた。 

僕らは迷わず、チキンとトマトのスープをそれぞれに、そしてチキンバーベキュー、ビーフブリヤニを注文した。 

白濁したチキンスープは博多のトンコツスープを彷彿とさせるが、中東系のハーブ、おそらくはローズマリー、セージ等が溶けこんだ味。トンコツスープが薬膳料理になったみたいねと彼女は笑った。おい、それは豚じゃなくて鶏だぞ? 

トマトスープに肉は入っていなかった。しかし、何時間もかけて煮出したビーフコンソメがそのベースになっていることは、その濃厚な味からすぐに判った。美味しかった。 

このスープを飲んだだけで、いかに多様で高度な文明・文化が長期間にわたってバグダットを舞台に栄えたかを、僕らは一瞬にして理解した。 

バグダットは本来、エジプトより古く、紀元前3500年にチグリス・ユーフラテスに人類最古のメソポタミア文明が発祥した場所。ローマ帝国が滅んだ5世紀から15世紀くらいまでは、イスラム文明の中心地として、長期間にわたり100万都市として栄えた都市。京都よりも遥かに長い歴史だ。めまいがする。 

チキンバーベキューは、思ったほどでも無かった。いや、十分に美味しいのだけど、僕らはここに来るまでに、イェルサレム、ベツレヘム、ヘブロン等で、死ぬほど美味しいチキンを山ほど食べてきている。その最高ランクには入るけど、特に驚きは無い、普通の味。というか、チキンに火を通しすぎて、ジューシーなハズの肉が固めだ。 

ミシュランの調査官のような事を、ここで言うのはやめて。彼女はマジで怒った。 

しかし、次のビーフ・ブリヤニは衝撃だった。 

例えば、インドのチキンブリヤニ(正確にはブリヤーニーと発音するが)。米、野菜、鶏、スパイスを渾然一体に煮込んだこの料理はインドでは一般的なもの。デリーでは、Briyani-Wara(ブリヤニ屋)という看板は、住宅地でもオフィスビルの隙間にも、すぐに見つかる。 

でも、ヒンズー教は神聖なる牛は絶対に食べない。ビーフブリヤニは中近東、イスラム圏の料理なのだろう。ブリヤニはピラフという意味では、アフガニスタンをからイラクまで一般的に使われてるとは初めて知った。 

僕は、インドのチキン・ブリヤニの鶏が牛に変わったものを予想していた。 

しかし出てきたその料理は、インドの最高級ホテルで食べたものより、さらにスパイスの組み合わせの奥が深く、さらにはナッツ、刻まれた果実等も一緒に煮込まれた、まさに渾然一体、黄金の味とでも言えるものだった。食べた瞬間、味覚が音楽に変わるような味とも言おうか? 

牛肉そのものも、日本とは全然違う。匂いが、味が、とてつもなく強い。しかし、肉質はジューシーで柔らかい。霜降りとかではないのだけど。 

日本の牛肉の匂いは「去勢」されたように優しい。しかし、この牛肉は確かな獣の匂いがした。しかし、その匂いを敢えて消したりはしない。全ての香辛料、ナッツ、果実は、その牛肉の匂いの強さのまま、生命力溢れる匂いと味へと、変化させる。 

イラク料理の料理人て、まるでアルケミストのようね。彼女は笑った。 

フランス料理の定番に「羊肉の岩塩包み」がある。(日本では恵比寿のモナリザあたりが一番美味しいけど)それは、羊肉の強力な臭みを岩塩とハーブで消すことなく、極彩色の匂いへと変化させる。 

僕らは、心の底から、イラク料理に満足した。そして、これほどの文化の蓄積のある国を粉微塵に破壊したアメリカに対して、心の底から湧き上がる侮蔑の念を抑える事ができなかった。 

でもね、あなた、今、アメリカがイラクでやっている事って、17世紀からイギリス東インド会社がインドでやったことと同じじゃない? 

そうだ、同じだ。おかしいくらいに全く同じだ。 

でも、昔は銃と剣しかなかった。テレビゲームのようにカーソルを合わせるだけで5km先の人を吹き飛ばすロケット弾はなかった。人々を白血病や遺伝疾患を子孫まで残す廃ウラニウム弾もなかった。タージマハールの壁から、宝石と黄金は持ちさったけど、建物に爆薬をしかけて、人々の最後の心の拠り所を破壊するところまではしなかった。 

食事が終わっても、僕らはそのレストランから立ち去りがたい気落ちでいっぱいだった。 

この料理を作ってくれたイラク人シェフにありがとうを言わせてください。 

オーナーは、喜んで、といって、キッチンに行き、シェフを連れてきた。 

オーナーがアラビア語に訳す、僕らの賞賛の言葉を、はにかむよう聞き入るイラク人シェフは、まだヒゲも似合わない、18歳の少年だった。 

==Tribute to 大根健一&阿部一徳==

技術の進化が意識を変える

 
これはフランスのルミエール兄弟が1900年のパリ万博で、上映した映画。 
観客たちは、列車が近づいてくると悲鳴を上げて逃げまどったという。 

あらゆるイメージ・アイデアがSFXとして実現されてしまう環境に慣れっこになった私たちには、その話は滑稽に思える。しかし、それまで映画という体験を一度もしなかった人々が、このような映像を体験した時のショックの大きさは図り知れないだろう。 

======= 

ヨーロッパの大聖堂では、色鮮やかなステンドグラス、パイプオルガンからの幻惑するほどの音の洪水に、今でも圧倒される。中世の寂れた暮らしの中、聖堂、教会に人々が集まったのは、説教を静かに聴くためではない。その音と色の洪水は、今僕らがロックコンサートで感じるスリルと同じだったに違いない。彼らにとって、聖書の物語は、「スターウォーズ」であり、「風と共に去りぬ」、であり、「七人の侍」であったわけだ。 

映画が娯楽の王様とか言われていた時代があったが、中世は大聖堂、教会こそが「娯楽の殿堂」だったわけね。 

======= 

ヨーロッパの美術館に行って、名作といわれる類を鑑賞すると、いつも驚かされるのは、その大きさ。ブリューゲルの名作「バベルの塔」を見ると、遠景から近景まで、驚くほどの細密さで「物語」が描きこまれている。15世紀~18世紀の絵画って、本当に一枚一枚が巨大で驚く。 
あれ!?そうか、当時は一枚の絵は、僕らが映画を見るような感覚で当時の民衆は接していたに違いない。 

======= 

戻って、戻って、大きく戻る・・・時計を縄文土器まで戻してみよう。 

僕が高校の時、京都の国立博物館(三十三間堂の目の前)の入り口で見た、巨大な縄文時代のの火炎土器を見たときのショックは今でも忘れられない。デカイのよそれが本当に。 

この火炎土器を見た当時の人々は、実際に炎が揺らいでいる感覚を持ったに違いない。今でも、僕らは錯視して渦巻き文様を見てるだけで、グルグルとした動きを感じるけど、それ以上の身体的幻惑を火炎文様は人々に与えたに違いない。 

======= 

数日前に、CSで「男女7人夏物語」をやっていた。一番のインパクトは、賀来千賀子が奥田英二に電話する場面。「公衆電話」から「会社」に直接電話して、色々と話していた。 

携帯電話と携帯メール無しの生活って、想像するだけにも、もはや大変な困難を感じる。 

======= 

結局、全て、技術が先なのだ。意識の変化は後に来る。 

時の最先端の哲学者が語るような、意識の進化が、技術を生み出だす訳では無い。技術オタクの飽くなき追求が、新たな道具を生み出し。それを使うことで人々の意識が徐々にに変化していくのだ。 

インターネットだって、ハイパーテキストの構造を考えたティム・バーナード・りー、ブラウザを作ったマーク・アンダーセン、アパッチサーバを設計・実装したロバート・タウ。この三人の「技術者」がいなかったら、どうなっていたことか・・・MSの天下という悪夢? 

印刷だって、ラジオ、テレビ、インターネットにいたるまで、20世紀の文化は分野毎の技術オタクによって切り開かれてきたのだ。オタク達が磨き上げた、技術、製品、サービスが人々の意識をどんどん塗り替えてきた歴史。 

おたくバンザイ!僕らが世界を作ってきたんだ 

俺も何かしよ

幸せに生きる技術

今回の出張の目玉は、以前から興味はあれど機会が無かったポルトガル。 

一人当たりGDPで言ったら、おそらく東欧以下。 
「情報として得られる」ポルトガルは「黄昏の~」と言われるにふさわしい、さびれぶり(失礼)。隣のスペインは、ZARAに見られるように、ファッションや観光では、それなりに躍進してるし。イタリアはファッションだけでなく、実は流通でもITでも、EUの中で確たる地位を築きつつある。 

15世紀からの大航海時代、一時は「世界」をポルトガルとスペインで二分する条約をローマ教皇に認めさせた、かつての超大国も、世界経済的には、正直、今では、あってもなくても何の影響も無い、とは言いすぎ? 

しかし!やはり百聞は一見にしかず、百万グーグルも一度の実体験にかなわない。 

なんだこの幸せな国は! 

飯はどこで食べても安くて、美味い! 
昼の定食はワイン、前菜、メイン、デザート、カフェまで付いて、6ユーロ!夜の定食も10ユーロは越えない。 
カフェで飲むコーヒーは60c~80c、ウィーンは5ユーロ、スイスだって3,4ユーロはするよ?この前のザグレブだって1.5ユーロはしたのに。 
ミシュランの☆付きレストランは無いけど、どこに入っても外れないから、そんなの最初から意味無い。 

体感的には、食事、移動、宿泊、全てが他のEU諸国の半分以下、ベニスやウィーンといった観光都市に比較すれば三分の一以下。財布の中のユーロ現金が全然減らない国! 

そして、なによりも、会う人が全て優しく、旅人をもてなしてくれる。 

タクシーの運ちゃん、カフェのあんちゃん、定食屋のオヤジ、街角でサッカーしてる悪ガキまで、本当に皆が笑顔!観光地の入り口にいる乞食まで優しい顔。 

タクシーの運ちゃん、場所が判らなくなると、メーターを止めて、見つかるまで探し回る。こんな国、今でもあったんだ・・・ 
レストランで帰りのタクシーを頼めば、店のオヤジが、到着するまで3分おきに寒い雨の中を出て確認、こっちが恐縮することしきり・・・ 

皆、幸福感で満たされているから、他人に対しても無条件に優しくなれるのだなぁ!
 

ポルトガルに世界遺産は沢山あるけど、一番の遺産はこの国の人々に、共同体に、歴史的に形成され、言葉を話すように当然に身に付いた「幸せに生きる技術」なのでは?その、数値化、統計化不可能な「幸せ度」では、ポルトガルは世界でも最高なのでは? 

フランスやイタリアの田舎を旅して、人々の優しさに感動した事は度々あったけど、その優しさの根源の正体にようやく気がついた。 

大航海時代から産業革命、宗教改革など、数多くの社会的な激変を経る中、それでも人々が幸せに生きるための必要から生み出し、さらに共同体が受け継いできた知恵の集積。それがこのポルトガルには今も、いや今だからこそ、確たるものとして実在している。 

残念ながら「幸せに生きる技術」は、学校で教えられるものでもなく、ハウツー本で2時間で手に入れられるような知識でもない。 

資本という軸とは全く違う次元に「幸福」という軸を確立するには、その共同体に100年単位の時間が必要なのだろう。 

今の日本人の僕に出来ることは、街角のカフェに座って、美味しいコーヒーとバカリャウ(干し鱈)のコロッケを食べながら、この幸福感を身体に一分でも長く染み込ませる事だけだったよ。 

日本もあと100年くらいしたら、このくらい幸福な国になれるのだろうか?

Originally posted 2007年11月26日

マクベラの洞窟で、神様の時間軸と空間軸に触れる

今日はヘトヘトです。 

本当に充実した・・・というか、オマエいったい何やってんだ!というお叱りを受けそうな日でした。 

最初に謝ります。スマンです! 

早朝、テルアビブのホテルを出て、以前からずっと尋ねたかった場所に立ち寄りました。そこは、 

ヘブロン 

はい、外務省から避難勧告の出ている最も危険な場所です。 

でも、そこには旧約聖書に記されたアブラハム、彼の妻サラ、レベッカ、息子アイザックらが眠っている。マクベラの洞窟があり、有史以来と言っていいくらい、人々の信仰を集めた聖地。 

アブラハムはイスラム教(息子:イシュマエル)、ユダヤ教(息子:アイザック)の両方の始祖であり、彼と家族らが埋葬されているマクベラの洞窟は、歴史的に見れば、イェルサレムよりもさらに古く、重層的な歴史の上に存在する場所なのです。 

この15年、機会があれば尋ねたいと思ってました。しかし、ヘブロンでは、パレスティナとユダヤが最も先鋭的に衝突を繰り返しており(銃乱射で極右ユダヤ人が礼拝中のイスラム教徒を何十人も虐殺したり⇒その反動で入植地に自爆テロが頻発したり)。 

たそがれの聖地マニアとしては、いつか・イツカ何時か来てやろうと、タイミングを計っていたのです。 

で、15年もイスラエルに来てると、仕事をするユダヤ人パートナー以外にも、旧市街のケバブ屋のアニキ(実はヨルダンの柔道王)とか、大学で宗教学と経営学の学士号を持っているのに、職が無くてタクシー運転手やってるスケベオヤジとか、いろんな知り合いが出来るわけです。 

で、そのインテリ運転手の彼が「明日は安全で、大丈夫だぞ、行くか?」と連絡してくれたのですね。二つ返事でOKと答えは俺はオオバカかも知れません。 

行ってきました。 

ただただ圧倒されました。 

もう10年くらい誰もお客は来てないんじゃないかという、土産物屋の細い通りを突き抜けてると、そこにあったのは、何の変哲もない小さなモスク。中に入ると、そこにはアブラハムの墓所がぽつんと置いてあるだけ。

しかし、その簡素な場所は、愕くほど濃密な、祈りのオーラで充満していました。言葉の表現能力を超えた力、喜びと悲しみ、そして無限の感謝。人が生きていくうえで「祈り」に込められた数千年のエネルギーの集積。

宗教は、人々に「生きている意味」を、人智を超えた(メタな)視点から与え、それが「救い」へと昇華する。 そのメタな視点を神と言うのなら、今日、自分は確かに、神の時間軸と空間軸に少しだけ触れのでしょう。

Originally Posted 2007年05月08日


((

ベツレヘムでフラッシュを焚くアメリカ人

イスラエルには本当に恐れ多いくらい神聖な場所が多い。 
今回、20回以上は訪れているのに、初めてベツレヘムのイエス生誕教会へ行って来た。 

例の9/11以来、イスラエルの普通の旅行会社は危ないと言うことでツアーを企画しないが、今回は信頼できるパレスティナ系ドライバーを手配できたので行ってみた。 

重い、重すぎる。東ローマに遷都したコンスタンティヌス帝の母親ヘレナが建立したイエス生誕教会は、足を踏み入れた途端に、神聖というか、荘厳というか、言葉では説明しきれない「重さ」がある。 

ローマ時代のモザイクや十字軍時代の壁画に囲まれながら、アルメニア正教会が管理する、地下の御堂というか、イエス様が生まれたとされる洞窟まで下る。その空間に宿る、人々の想いの集積に圧倒され言葉も出ない。この歴史的な重層感が神聖さの本質なのだと身体で感じるのに時間はいらない。 

と!?後ろからズカズカと乗り込んできたアメリカ人、いきなりシャッターを焚いてデジカメで撮りはじめた。おまけに、後ろから「そこどいて見えないから!」だと!?!?! 

ここまで無神経なら、イラクでもアフガニスタンを破壊しても、彼らの幼稚な民主主義を押し売りできるのだろう。 

イエルサレムの聖墳墓教会でも、敬虔にイエスの遺体を安置した大理石に接吻するイタリア人を、バカスカとシャッター焚いて撮っていたアメリカ人団体。 

嘆きの壁の前に「写真やビデオは取らないで下さい」とかかれてあるのに、無視してビデオを回し続けるアメリカ人。 

おまえらとっとと国へ帰って、コーラ飲んで、ディズニーランドでもユニバーサルスタジオでも行ってろ! 
おまえらの聖地は$20ドルで入場可能で、どんなバカでも楽しませてくれるんだろ!?

Originally Posted 2006年07月15日

オストログ修道院から資本主義を考える

モンテネグロから帰って・・・ここ数日、まじめに資本主義の本質など考えてしまった。 

モンテネグロの山中、断崖絶壁のオストログ修道院に登り、最後に一番奥のにある聖人の遺体とイコンに、お祈りをし、接吻してきました。何か得体の知れない、しかし、本当に魂が震える感動と清清しさの正体は何だったのだろうか? 

東欧とか回っていると(インドとかの田舎もそうだけど)、「資本主義=お金による価値観測定」に拠らない、別の価値観の軸がまだ確かに残っていることを体感できる。 
イタリアとかスイスとかでは、観光地化=観光価値の資本価値による順位付けがもう隅々まで行き渡っているからね。 

東欧やインド、はたまたアラブの国々でも、宗教的な価値は資本に交換不可能という、宗教発生以来この数千年にわたり当然だったことを身体で感じる。 
その、あまりに当たり前な空間に身を浸すことがこれほど心の洗濯になるとは・・・本当に皮肉というか、何と言うか。 

本来なら、多様な価値観の軸の一つである「資本」が、他の全ての価値観を喰らってバケモノになり、その過程で、私たちの社会、コミュニティーの通奏低音である、基本的な人間同士の信頼とかまでが、「リスク管理」の名目で、どんどんオカシナ方向へ進んでいる。 

資本に交換不可能な価値観を無理にお金に換えようとして、「リスク」の名の下に管理できたと思っていても、それはあくまで「錯覚」であり「幻覚」でしかない。 

「千と千尋」の顔ナシは、資本主義そのもの。全ての価値観を喰らったあげくに、身動き取れなくなって憤死する気がしてならないね。 

こういうバカな幻覚社会は、積極的に破壊したい気分。 

賛同者募る。(笑)

Originally Posted 2006年01月12日

グーテンベルグ博物館

先週のドイツ出張(本当に仕事したんかい!(爆))で、最後の日にマインツのグーテンベルグ博物館に行きました。 

生誕年は不明だが、定説では1400年とあるから15世紀を駆け抜けた、まさに天才職人だ。 

展示してある42行聖書の美しさに心打たれた事は言うまでも無い。 

今なら、コンピュータ上でフォントに種類、大きさ、配置、装飾まで、出来ないことは無い。それに比べたら、当時の活版印刷は、いかに画期的でも、その全ての印刷要素が限界だらけ。編集できる機能的な面から言ったら、現在のPC上の編集ソフトの1%にも及ばない。 

しかし、その印刷された本物を見た時、「技術やセンスは時代にそって進歩する」というのは幻想に過ぎない事が良く分かる。 

ありえない完璧なデザイン 

フォントの大きさ、詰め間隔、行間・・・全てにおいて、これ以外に考えられないほど、完璧な編集デザインの一例をそこに見る。 

実は、その後、商業としての印刷術の中心は当時、国際文化交流の一大拠点であった、ベニスに移る。サンマルコ広場を囲む博物館の2Fにある博物館の「出版物の間」でも、文庫本とイタリック体のフォントに美しさには、正直、カラバッジョやフェルメールなんかより遥かに深い感動を得る事ができる。 

ちなみに、当時の印刷術は、紙の製造、インクの調合、フォントの金属組成、印刷する機構など、まさに化学、機械工学、冶金学の最新成果を組み合わせた、総合科学技術。 
実際、かれはストラスブールで30歳~48歳まで、ごく少数の職人集団と20年近く、技術の完成に向けて秘密の日々を送っている。 

そして、48歳の時に、はじめてパトロンの投資を受けて、自身の印刷工房を始める。 

あれれ、これってまるで、ベンチャーキャピタルから投資を受けて会社を始める、ハイテク企業と同じ構図!なんか、親近感わくぞ。 

また、その後、早く印刷物を売って利益を出したいパトロンと、売り上げのお金をひたすら新しいインク、紙、機構改良に費やす職人気質のグーテンベルグとで争いが絶えなかったって(笑)これも、いまどきのハイテクベンチャーと投資家との争いと同じジャン。

なんか、博物館の年表見てて、もう他人とは思えないくらい、親近感を覚えてしまった。
 

だいたい、15世紀ヨーロッパの48歳と言ったら、もういつ死んでもおかしくない歳でしょ。それから、人の投資でベンチャー企業始めるなんて、もう、アンタは偉いよ! 

それに、65歳になって、投資家と争って、裁判に負け、印刷機材を取り上げられた時の、失望感て、どんなだったかなぁ?68歳で死ぬまでの三年間、悔しかっただろう。アンタの悔しさは他人事に思えないなぁ。 

まだまだ、やりたい事も山ほどあったでしょ? 

大体、投資家なんて短期の金儲けしか考えてなくて、この技術が世界を変えることなんて、本当はコレっぽっちも理解してないよね。 

でもねぇ、グーテンベルグさん、アンタの印刷術は、聖書を世に広め、宗教改革を起こしただけじゃないんだよ。アンタの生きていた時代には無かった「国語」という考え方が生まれ、あなたの時代には予想も付かなかった強力な「近代国家」を生んだんだよ。 

「統一した言葉を話す、近代国家」これはアンタの活版印刷が世に出なければ、100年は遅れてたな。 

技術オタクのアンタが、あそこまで精魂を傾けて改良した活版印刷が、実は「近代国家」の成立の前提となるインフラになったんですよ。本当に人々の世界観を変えたんですよ、 

どう、思ったとおりでしょ?本当は判ってたんだよね・・・ 

もう少し長生きして欲しかったなぁ。そしたら、20年くらいでアンタが思った以上の変化を見届けられたのにね。 

え、僕ですか、僕も同じ技術オタクです。人間の視覚なんて研究して、ビジネスにしたりしてます。そうそう、パトロンもいますよ。でも、どうあがいても、グーテンベルグさん、あなたの偉業にはおよばないです。 

技術オタクは、その道を信じて邁進すること。これがあなたの示してくれた道。少しでも、近づけるように頑張ります。

Originally Posted 2007年12月03日

サンチャゴに☆は無かった


キリスト教三大聖地の一つ、スペインのサンチャゴに行ってきました。聖ヤコブの遺骸が中世に発見され、以来、年間何十万もの人が巡礼に訪れる街。 

しかし! 

残念ながら、得るものはありませんでした・・・あぁ、言っちゃった・・・あの遺骸は本物じゃないような気もします。 

今まで、キリスト教(ユダヤ教、イスラム教も含め)の聖地としては、 
・イェルサレムの聖墳墓教会(イエスが亡くなったゴルゴダの丘が、そのまま教会になった) 
・ベツレヘムのイエス生誕教会(文字通り、イエスが生まれた馬屋の跡から教会に発展) 
・ヘブロンのマクベラの洞窟(ユダヤ教とイスラム教の共通の始祖、アブラハムの墓) 
・インド、マドラスの聖トーマス教会(12使徒の一人、聖トーマスの遺骸が眠る) 
・アッシジの聖フランシス教会 
等など・・・ 

さらには、ストーンヘンジやパンテオンのように宗教に関係ない場所から、ローマのサンピエトロ(カソリック)、イェルサレムの岩のドーム(イスラム教)のように「総本山」まで、かなりの数を体験しているのですが、そこから得られた結論は、 

本物の聖地は物理的な力を持つ。 

イェルサレムの旧市街に、一歩足を踏み入れれば、そこには明らかに重力の違いを感じます。外界で振動している僕らの脳が、強制的に停止させられたような、アタマを万力で無理やり固定されるような、すごい力を感じます。 

マドラスの聖トーマスの遺骸を安置した、地下聖堂では、遺骸に近づくほどに、発せられるオーラの放射みたいな力に、押し戻されそうになります。 

アッシジの旧市街に入り、あの大聖堂(バジリカ)に近づくだけで、宗教に関係なく、涙がとまらなくなります。この場所を聖地に選んだ聖フランシスの眼力は、やはり凄いものだったと感服します。 

で、今回のサンチャゴ・・・正直、拍子抜けです。ま、悪くは無いですが、数百キロもの苦行の果てに訪れるのがこれでは・・・地下の聖ヤコブの遺骸にも面会しましたが、正直、マドラスでの聖トーマス、アッシジでの聖フランシス、それらの遺骸の放つ静謐な力を感じることは全く出来ませんでした。 

アッシジが☆三つ、マドラスの聖トーマスが☆二つ・・・とするなら、サンチャゴに☆はありません。 

もし、サンチャゴに行こうという人がいるなら、それよりも先に、まずアッシジをお勧めします。で、もしも、本当の聖地というものを体感したいなら、やはりイェルサレムをお勧めします。宗教には関係ありません。 

本物の聖地は宗教とかいう概念すら超えています。 

しかし、おれは本当に仕事してるのか


Originally Posted 2007年11月28日