Friday, October 26, 2012

「祈り」はミーム(文化遺伝子)を運ぶ

教養のあるインド人を京都に連れてくると、本当に驚くことの連続だ。 

銀閣寺の庭のことを 
「銀沙灘=ぎんしゃだん」 
というのだが、この 
「しゃだん=SHADAN」 
がなぜ庭を意味するかは、寺の人に聞いても、仏教用語としか答えてくれない。 

しかし、この「音」を聞いたインド人は即座に 
「SHADAN=サンスクリット語の庭」 
だと判る。 

街や美術館を巡るたびに、新発見が山ほど。でも一番驚いたのは、仏教のお寺が一番大事にする「お釈迦様の骨」
「舎利=しゃり」が、なんとサンスクリット語で「身体」を意味すると聞いた時。

日本に仏教が伝わったのは6世紀中盤だから、1500年近く、この極東の国はインドで生まれた文化遺伝子(ミーム)を変えることなく継承し続けたことになる。 

1500年という時間、数万キロという距離も飛び越える、人間の作り出した文化の奥深さと生命力に、ただただ驚くのみ。

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マドラス(今はチェンナイと呼ばれる)は、インド東海岸の大都市。工業、海運、農業、水産、一つの都市圏でマレーシアを凌ぐ位の経済規模を誇る。ここに2000年の歴史を持つ、世界でも最古のキリスト教会がある事を知る人は、日本にはほとんどいない。

キリストの12使徒の一人、聖トーマスの教会。12使徒の実際のお墓の上に立つと、ローマカソリックが正式に認める教会は世界で三つだけ。スペインのサンチアゴ、イタリアのローマ、そしてこのインドのマドラス。 

彼はペルシャ・インドへの布教を目的に、このマドラスにAD52年に来て、AD72年に暗殺されるまで布教を続けたそうな。その墓はシリア正教のキリスト教徒によって、今日まで守られたという。 今はほとんど話す人もいないアラム語(古代シリア語)典礼がマドラスの地に残る。(当時のシリア、ダマスカスは中東屈指の国際都市、そこの言葉であったアラム語はイエスキリストも話したと言われる、その時代の共通語。)

1世紀中頃という時期に、ここまで布教に来たのが驚きなら、それを現在まで2000年近く守り続けたコミュニティがあったという事実は奇跡に近いだろう。ここはヒンズー教、仏教、イスラム教、そして多数の国々が争いを続けた土地なのに。

今も残る地下墓所は、「磁場」のような祈りのエネルギーにあふれ、聖トーマスの遺骸は、容易に近づけないほどの濃密なオーラに、はじかれそうになった。人々の想いの2000年分の蓄積は、その場の重力を確実に変化させていたとさえ感じた。

2000年と数万キロという時間と空間を一瞬と感じさせる、強靭な文化遺伝子(ミーム)。

人間の作り出した文化とは、はかないようでも、かくも生命力に溢れたものなのだ。そしてその生命力の根源は人々の「祈り」であると確信した。

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